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ライフコンサルタントの亀田 敦範様のプロフィール 

はじめまして!
「何かあったときも、一生懸命動いてくれるんちゃうかな」と言われるファイナンシャル・アドバイザーの亀田敦範(かめだあつのり)です。

「ざっくばらんで、気さくに何でもしゃべれる」と頼っていただけると、うれしいです。
そのために、お客さんが言葉にしずらい気持ちを素直に言葉にすることで、よろこんでいただけるように心がけていきます。


亀田様インタビュー

「何かあったときも、一生懸命動いてくれるんちゃうかな」と言われるファイナンシャル・アドバイザーの亀田敦範(かめだあつのり)です。

なぜ、わたしが【素直】を使命と掲げているのか?
聴いていただけますか?

「ホンマ、落ちつきない子やなぁ~」

「さびしがり屋で、甘えん坊のくせに、やんちゃ」。

幼少期のわたしをひと言でいうとこうなります(笑)。

いつも母親と一緒じゃないとだめ。幼稚園に行くとなると、泣いてなかなか行かない。

一方で、じっとしてられず、外で遊びたい一心で、暗くなるまで帰ってこない。
お遊びに行っては、ガラスの上を裸足で歩いてケガして帰ってくる。

「ホンマ、落ち着きがない子やなぁ」
「おまえ、世話の焼ける子やなぁ」
と母は笑って言いつつも、しかることもせずいつも好きなようにさせてくれました。

亀田氏幼い頃

ある日、私が苦労して取ってきたかぶとの幼虫を、一緒に住んでいた祖父が捨ててしましました。

すると、母は、「なんでそんなことするんですか!子どもが、せっかく取ってきたのに」と祖父に言いました。

そして、私と一緒に泣きながら、かぶと虫の幼虫を拾ってくれたのです。

なにかあったら、わたしを助けてくれる。母は、そんな存在でした。

母と一緒

「わかった。わしが言ってくるわ」

わたしは幼稚園のころから身体が弱く、すぐ風邪を引く子どもでした。そんなことで、両親のすすめで、幼稚園から、スイミングスクールに通うようになりました。

小学校4年生のとき、選手コースに引き抜かれました。毎日練習。学校が終わったら友だちとも遊べずさびしい思いをしました。

その甲斐あって全国大会に出ることができました。

中学になったとき、スイミングスクールをやめようと思いました。毎回の厳しい指導がきつかったのです。

ある日、スイミングスクールを休んで家にいたときのこと。いつもスイミングスクールに練習を見に来ていた祖父に言われました。

「なんで、行かへん?」

「ぜったい、行かへん!」

その話を聴いていた父は、「なんで、行かへんのや?」とやさしく聞いてくれました。

「毎日しごかれてきついから、イヤや。もう行きたくない」と答えました。

「わかった。わしがやめると言ってくるわ」
父はそう言ってスクールのコーチに話をしてくれたのです。

すべて受け入れてくれる、そのことが、とてもうれしかったのです。

「父ちゃん、頼もしいなぁ~」

父と一緒

「なんか、オレ、ずっと一人やな」

小学校のころから、さびしがり屋でやんちゃ。友だちもやんちゃな子ばかり。ちょっとした悪口でよくケンカをしては口をきかない。そんなことの繰り返し。

中学2年生のとき、やんちゃな友だちと、ささいなことで、カッとなり口ケンカになってしまいました。その後、私は、意地を張り口をききませんでした。

すると、友だちの中のリーダー格の人間が、「亀田とはしゃべるな!つきあうな!」といい、友だち仲間から一人だけはぐれてしましました。

仲間の輪の中に入っていきたいけど、強がって、自分の口からは言えない。人一倍さびしいし、しゃべりかけて欲しい気持ちでいっぱいでした。

ある日、仲間から、いきなり「ごめんな」と声をかけられました。そして、ケンカをした当の本人とも仲直りしました。「ああ、よかったぁ」とほっとしました。

高校は、学校の部活で水泳部に入りました。中学でも高校でも、近畿大会に出場。そのうちに、「水泳部は、オレがいるから成り立っている」と思うようになってきました。

水泳部に誘った親友が、水泳部の中で、みんなにチヤホヤされ出したのです。話がおもしろいし、場を盛り上げるのがうまい。

そんな姿を見ると、「水泳はオレの方が上やし、オレが世話してやったのに」という気持ちが強くなってきました。

あるとき、ちょっとしたことで、カッとなり、親友に、私が一方的に怒ってしまいました。

その後、親友とは部活でも話しもせず、一緒に飯も食わなくなりました。

気がつくと、水泳部の9割が親友の味方になっていました。

「オレのどこがアカンのやろか?」すごく悩みました。

水泳部だけでなく、クラスのメンバーにも波及し、今までのすべての友人が、親友の側についてしまったのです。

「なんか、オレ、ずっと一人やないか…」

高校卒業するまで、仲直りすることもなく、肩身の狭い高校生活でした。

水泳部の時の写真

「ケツぐらいふいたるで!」

大学を卒業して、地元の信用金庫に就職しました。

32歳までは、同期入社の中でも最短で支店長代理になりました。支店に配属になり、外回り営業だったので、商品販売や融資で結果を出していたのです。

お客さんまわりの仕事は、楽しかったです。会社のパンフレットを持って営業するのがいやだったので、なにも持たずに訪問。

「最近、どうですか?」
「今日は、なにしに来たん?(笑)」

そんなやり取りをして、とくに仕事の話はしません。いつしか、お客さんの方から、本音で、仕事の話をしてくる。そんなお客さんとの飾らないお付き合いを楽しんでいました。

特に、わたしが配属されたエリアは、職人気質でプライドが高く、飾らず気性が荒い事業主が多かった地域です。わたしは、どんな人でもわけへだてなく、構えず本音でしゃべっていました。

33歳のとき、本部の事務統括部門に配属されました。その後、最短で支店長代理になった同期7人が全員支店長になりました。同期も次々と支店長になっていく。さらに、年下の後輩も支店長になり、どんどん追い越されていく。

「なんで、自分は支店長にならないんだ…」
というあせりと、ここにいたら耐えられないと思うようになりました。

そんな中でも、仕事には、支えとやりがいがあったのです。

周りの同期がドンドン出世して、気持ちがめげていたとき、カミさんがいつも「あせらなくても、あなたは、大丈夫だから」と声をかけてくれました。

カミさんから、このように言われて、「おれのことを一番わかってくれているのは、カミさんなんだな」と思うと、勇気づけられました。

多くの銀行員は、マニュアルに載っていないことは、なかなか判断できないものなのです。そんなとき本部に相談の電話がかかってきます。

ところが、本部の多くの人は、営業現場を知らず、自分で判断できないことが多々あったのです。

私は支店での営業経験があったので、支店からの相談の電話は、ほとんど私宛にかかってきました。「亀ちゃん、いる?」と名指しで電話がかかってくると、私も頼られるのがうれしかったのてす。

「ケツぐらい、おれがふいたるで!」という気持ちで、トコトン話を聴いて相談に乗っていました。一人で困っている人を見ると、「なんとか頼りになりたい!」と無性に思ったものでした。

お客様訪問

なぜわたしは【素直】を使命と掲げているのか?

34歳のときに新しい上司が来ました。ある日、突然、上司が私にしゃべりかけて来なくなったのです。さらに、仕事もまわしてこないし、自分から提案したことも取り上げてくれない。

上司からしゃべらないなんてことはありえないから、向こうからしゃべるまでこっちからはしゃべるまい、と私も意地になりました。

このようなことをしていたため、人事評価は最悪。同期や後輩にますます後塵を拝す。まったく先が見えない状況に業を煮やして、思い切って、上司にところに話に行きました。

「わたしにもいたらないところがあるから、なにが不満なのか言ってください」

すると、上司は、なにも言わず、そっぽを向いてその場から立ち去りました。

さすがに、私も「オレは、ここまでやったんだぞ。オレはわるくないぞ」と腹が立ってしまいました。

上司に話をしに行ったあと、その上の次長から上司と二人呼ばれました。

「いいかげんにしろ!大の大人が、幼稚園児じゃあるまいし」

そして、私を名指しして怒られました。
「とくに、亀田。おまえのその態度は、
なんだ!ふだんからのおまえの態度が問題だ」

その後、担当部長と話をしましたが、私の話を取り合ってくれない。

「もう、オレは、ここでは必要とされていないな…」

ここに居場所はないと思い、退職の決意をしました。

2019年8月、外資系生命保険会社に入りました。

私を採用したマネージャーとは、一年半近くやり取りしました。マネージャーの明確なビジョンを持って仕事をしている姿に感銘を受け、「この人のもとで働きたい」と思い決断しました。

入社して、毎月契約を上げ続けなければならない不安がありました。

入社して2ケ月、月末になり数字が足りません。それまで、前職の仲の良い後輩と一二回打ち合わせをしていました。「もうここは、あいつしかおらへん」そう思ってアポを取りました。

契約の打ち合わせは、奈良駅の食事処。後輩が「こんなところでいいんですか?」と聞いてきたので、「かまへん」と素直に言いました。

契約が終わった後、妙に肩の荷が
降りた感覚でした。

「オレが求めていたのは、
これだ!」

肩肘張らず、素直に本音を言える
関係。

お客様訪問

そのときです。これまで、なんで人間関係がうまくいかないのかが、はっきりと見えました。

中学校のとき、ケンカして、自分から素直に「ごめん。仲間に入れてくれよ」と言えたとしたら。

高校のとき、ケンカした親友に「オレがわるかった」と素直に言えたとしたら。

銀行員時代、上司の人に、心から素直に「わたしがわるかったです」と言えたとしたら。

そうなんです。わたしには、素直さが欠けていたのです。
そこから、わたしは、【素直】を使命と掲げることにしました。

そうすると、ふだんは、なかなか本音で話しをできていなかったカミさんに、素直に聞いてみました。

「ところで、オレのどこに惚れたの?(笑)」

カミさんが照れながら答えてくれました。

「結婚してもいいかも!と思えたのは、あなたとわたしの歳の差。本当なら、あなたの親、逃げ出すんちゃうかいな…亀田家への挨拶。
ネガティブ発言の私にいい放ったあなたの言葉は
『そんな親じゃない!!』
ほんま、この一言で決めたと言っても過言ではないかも」

あらためて、本音を聴けて、カミさんとなんか妙に距離が近くなった感じです。

このように、【素直】を使命に掲げると、お客さんとの関係にも変化があらわれたのです。

銀行員時代の動機で、実家の自動車整備工場に戻った友人に、なぜ、オレから契約をしたのか、聞いてみました。

「ざっくばらんで、気さくに何でもしゃべれる」

「何かあった時も、一生懸命動いてくれるんちゃうかな」

「うちの会社に来たとき、会社の人にも気さくに『こんにちは』って、声をかけてくれた」

このように言ってもらい、あらためて、この仕事をやってよかったと思いました。

これからも、「亀田さんになら、ざっくばらんに話せる」と思っていただくことを心がけていきます。そして、お客さんが言葉にしずらい気持ちを素直に言葉にすることで、よろこんでいただけるように心がけていきます。

最後に、
親父とお袋へ

「やんちゃで甘えん坊のおれを、
いつも見守ってくれて、ありがとう」

亀田 敦範署名

お客様と一緒の写真

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秋田俊弥 プロフィール

1962年北海道札幌生まれ。 慶應義塾大学文学部哲学科卒。

使命の物語を紡ぐ号泣ライター 使命【心の声を「言葉」にする】

大手情報機器メーカー、大手通信会社、生命保険会社の営業を通じて、聴く技術=インタビュー・スキルを身につける。
経営者の伝えきれなかった想いを、物語に載せて表現する手腕には定評があり、木戸一敏氏、山下義弘氏、水野浩志氏ら、業界を代表する経営者から絶大な支持を集める。
100社を超す中小企業の社長の、使命と想いの物語化に特化したライティングを行ない「創業時のエネルギーを取り戻せた」「見失っていた目的が明確になった」など数多くの称賛が寄せられている。
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