秋田俊弥プロフィール
「聴き出す力がものすごくある!」といわれる「理想のお客さん」だけ集客するホームページライティングの専門家、秋田俊弥です。
私は、自信のなさを隠すために、一人でがむしゃらに頑張ってきました。40歳をすぎて、頑張ることの限界を知ったとき、はじめて自分の「本心」にふれました。そして、一人で頑張ることの悲しさも痛感しました。
それから、一人で頑張る社長さんが、自分の想いを伝えることで、「理想のお客さん」だけ集客できることに貢献しようと決めました。

理想のお客さん」だけ 集客するホームページ作成の 秋田俊弥です。
なぜわたしが【信じる】を使命として掲げているのか?
そのワケを聴いていただけますか?
「お父さん、すごいなぁ」
私の父は、8人弟妹の長男。これからは、金融と貿易の時代とみて、北海道庁から銀行に転職しました。先をみて、目標を決める。決めたら、必ず達成する。そんな父です。
大学卒業後、父のお父さんが亡くなりました。母と弟妹の住処を作るために、父は自分で家を建てることにしたのです。
午前中、北海道庁に勤務し、午後は、家を建てる。夜は、大工の親方のところで教わる日々。

決めたら、必ず達成する。そんな父です。
そうして父は、およそ3か月、歯を食いしばって、家族の家を自分の力で建てました。その話を聴いたとき、「お父さんは、そこまでして、やりとげるんだ。すごいなぁ!」と思いました。
また、父は、仕事関係で業界雑誌の記事の依頼を受けていました。仕事を持ちながら、時間を作って通勤時間に電車の中で記事を書く。そこまでして、文章を書くこと。「お父さん、すごいなぁ!」と強く思いました。
そんな父を支え、私たち家族のために黙って尽くしてくれたのは母でした。母は、料理が上手く、よく寝ないで私と妹の服を編んでくれました。
私が小学2年の時、くぼみに足をとられて左足を骨折したとき、毎日病院に治療に行くのを、母はいつもついてきてくれました。
何を話すというわけでもありませんでしたが、いつもそばにいてくれる母の存在は、どこか、安心感を与えてくれました。

母の存在は、どこか、安心感を与えてくれました。
「お前、疲れてるんじゃないか」
鹿児島にいたときは、「ハヤシくん、行くがぁ。」としゃべる。鹿児島から仙台に転校になると、一週間もしないうちに、「そうだっちゃ!」としゃべっている。いつもその環境になじむのに、必死でした。

小学校6年の夏の転校が、
人生の転機でした。
小学校6年の夏、慣れ親しんだ仙台から札幌の小学校への転校が、人生の転機でした。
「またか……
もう、学校行きたくない。」
せっかく友達ができたのに、「また、新しい友達を作るのか…」と思うと、絶望的な気持ちになったのです。
それからです。何をするにも、自信のない人間になってしまいました。
中学になったとき、「お前は、医者になったらいい」と父から言われたことが、私に重くのしかかりました。
「医者にならなきゃいけない」
そう思い込んだのです。
父からのひと言ひと言を「父の言う通りにしないといけない」と重く感じたのです。しまいに、自分は、何をしたいのか、何を考えているのか、自分のことがわからなくなってきました。
いつも「こうしなきゃいけない」という強い想いがあって、自分の意思で選択できない。何かの力に突き動かされているようないつもおびえている自分がいました。
「なんで、こんなになっちゃったんだろう」
高校卒業後、私は東京の大学の文学部に入学。自分のことをわかりたい一心で、毎日、本を読んでは、ノートに「言葉」を書き綴っていました。
そうして同級生とも付き合わないでいると、現実から離れていき、心身ともに消耗していきました。
1年の夏、私は大学を辞めることにしました。実家に帰り、父におそるおそる、でも思い切って言いました。
「大学、やめるわ」
そのときの父の言葉に、私は救われました。
「お前、疲れてるんじゃないか。少し休んだ方がいい。大学は、戻りたくなったら、戻ったらいい。」
私のことを信じて、受け止めてくれたことがとてもうれしかったのです。

1年の夏、私は大学を辞めることにしました。 そのときの父の言葉に、私は救われました。
「誰もわかってくれない…」
7年かかって大学を卒業した私は、自動車部品メーカーに就職しました。
入社早々に先輩がやめて、誰にも聞けないでいました。慣れない営業で言葉に詰まっていると、取引先からガチャン、と電話を切られることもありました。
それでも、お客さんが本当に求めているものは何か?真剣に話を聴いていました。お客さんのもとへ通い続けるうちに、話すことはできなくても、聴くことはできるようになりました。とにかく、お客さんの要望を聴くことに徹しました。
一方で、毎日深夜2時まで一人で残業。「新入社員なのに、誰も助けてくれない…」そんな想いを抱え、心身ともにどんどん疲れていきました。
「もう体がもたない…」と感じ、1年後、会社を辞めることにしました。
そのことを取引先に伝えたとき、当初、電話をガチャンと切っていた課長さんから「君には、いろいろお世話になったからご馳走するよ」と言ってもらい、近くの居酒屋さんへ連れていってもらいました。
この上なくうれしかったのと同時に、「このスタイルなら、自分でも営業ができるかもしれない」と小さな自信になりました。
その後、転職をするたびに、私は、結果を出すことにまい進していきました。
ところが、結果を出しても出しても、一人で頑張るだけで、「誰もついてきてくれない」「誰もわかってくれない…」と思うと、会社を辞めることを繰り返す。
42歳のとき、もう会社のしがらみはうんざりだと思い、勧誘を受けた4社目の生命保険会社へ転職をすることにしました。
1年目は、がむしゃらに営業したので、優秀な成績を収めました。それでも、「自分にはできないんじゃないか」という言いようのない不安の中にいました。
するとだんだん売れなくなり、3年目には、収入がとうとうマイナスになってしまいました。
「何のために、この仕事をやってるんだろう」
そもそもなんでこの仕事をしているのかがわからなくなってしまったのです。

なんでこの仕事をしているのかがわからなくなってしまったしているのかがわからなくなってしまった。
「すべて終わったな…」
そんなとき、社長さんの話を聴いてインタビューするだけで、保険の紹介が生まれ、契約になるという営業方法を知りました。
何のために仕事をしているのかがわからなくなった私は、社長さんにその答えを聴けば、もう一度、自分の生きる活力になるんじゃないか、と思ったのです。そして、100人の社長さんインタビューを始めました。
そんな中、ある税理士さんにインタビューした時のことです。
「秋田さんのインタビュー、すごくいい。なぜ、自分が若い企業家を応援する税理士になろうと思ったのか、その根拠の体験がわかった。」と言われたのです。
そのとき、初めて人によろこばれて「うれしいな」と思えました。同時に、そこまでよろこんでくれたことに「自分は、こういう風にするとよろこばれるんだ。」と、自分を信じられるキッカケになったのです。
それから何人かの起業家の人たちから「秋田さんの書く物語はすごくいい」と言われ、私はプロフィールライターとして独立しました。
初めて開いたセミナーは、「今までで3本の指に入るくらい感動した」という声があるくらい大盛況でした。
ところが、2、3日経って興奮が落ち着いてくると、「ああいうことは、二度とないんだろうなぁ」という気持ちが起きました。その気持ちを抱え、一人で悩んでいると、「やっぱり、自分にはできないんじゃないか…」という不安が湧き起ってきました。
毎月セミナーを開いていても、いつもその不安がつきまとい、自分では、その不安からどうしても逃れることができませんでした。すると、だんだんと行動できなくなっていきました。
ついには、プロフィールを書くことも、人と会うことも、すべてやめることにしたのです。
「すべて終わったな…」

プロフィールライターとして独立しました。
「信じる」ことを使命と掲げるわけ
絶望感の中で、「すべて終わったな…」と口にすると、どこかホッと肩の力が抜けました。
そのとき、初めて自分のことを振り返ることができたのです。
会社員から初めての独立。それは、保険の仕事は向いてないという半分逃げの気持ちと、プロフィールライターが私の使命なんだという気持ち。そして、初めての起業で、どこかで仲間が助けてくれるだろうという甘えがあったのです。
自分の覚悟も自信もないまま起業したために、不安を抱えながらも、誰にも相談できず、疲れ切っていました。
今まで自分はこれと同じことをずっと繰り返してきたんじゃないか。
自分の気持ちを抑えたまま自分のことがわからなくなり、人とも付き合わず、大学を辞めると言い出す。
新入社員のときに、誰にも相談できず、一人でがむしゃらに結果を出すことに疲れ、会社を辞める。
結果を出しても出しても自分を認められず、誰にも相談できないまま「誰もわかってくれない…」「誰もついてきてくれない…」と、転職を繰り返す。
でも、それは、自信のない自分を見たくなかったからだ。そして、そんな自分を人に見せて、相談して否定されるのがこわかったんだ。
だから、自信のない自分を隠すために、誰にも心を開かず、誰にも否定されないように、ただひたすら一人で結果だけを追い求めてきたんだ。
でも、本当は、誰かに話したかった。心の奥底では、いつも「やりたい!」「続けたい!」と思っていたのに…。本当は、自分を信じて、周りの人を信じて、相談したかったんだ。
そう自分の本当の気持ちを認められたとき、初めて今までの自分のいたらなさに気づいたのです。
わたしに足りなかったのは、人を信じることだった。そして、自分に、「大丈夫だよ」といって、自分を信じることだった。
そのことにやっと気づいた私は、自分の使命を【信じる】ことと掲げたのです。

50歳にして、自分では気づけなかった自分に出会えて感動です。
そんなときです。ある社長さんにインタビュー後に「どうでしたか?」と聞くと、その社長さんは、突然嗚咽をして泣き出したのです。
「誰にも話せないで、ためていたものを吐き出せた。50歳にして、自分では気づけなかった自分に出会えて感動です。」
その言葉を聴いたとき、初めて「会ったことのない自分にここまで心を開いてくれて話してくれたこと、うれしいなぁ」「この仕事をやっていてよかった。自分のやってきたことは、間違ってなかったんだ」と思えたのです。
その後、その社長さんのホームページを見て仕事の依頼をされたお客さんの話を聴く機会がありました。
その方は、余命6か月で「最後のリフォーム」と書かれたノートを持って、社長さんのもとを訪れられました。
だんだん身体が動かなくなってくる。その前に、綺麗なお家にして最期はその綺麗な自分の家で眠りにつきたい。
ご自身でノートに書かれたリフォームの計画書を持って、「どうしてもあなたにお願いしたい」と依頼に来られたのです。
そのお話を聴いたとき、「ホームページを読んで、その社長さんに是非お願いしたい、そう思って行動されたそのお客さん、すごい。」心揺さぶられました。
そして、そのお客さんの行動にも「自分は人の役に立ってるんだ」と、ようやく自分を強く信じられるようになったのです。
その後、10年間契約ゼロだったのが、2600万円売り上げるホームページを作ることができるようになりました。
今まで、「もう少しお会いできたら、自分のことをわかってもらえるのに」と悔しい思いをされていた社長さんが、1000万円以上の仕事を相見積もりなしでたてつづけに受注しているリフォーム屋さん。
毎月1件くらいしか問合せがなかったのが、毎月契約率100%ちかく受注している畳屋さん。
自分を信じ、相手を信じて、自分の気持ちを正直に伝えることで、お互いに分かり合える。そして、相手によろこんでもらえることで、自分にしかないものに気づき、自分の命を活かせる道が見える。
そのとき、「この仕事をしている自分を、信じられることがうれしい。」
社長さんが自信を持ってそう言ってくれることが、私のなによりのよろこびです。
「来てほしいお客さんが来てくれるようになってよかった。」
「どんな人のために仕事をするのか明確になった。
自分の人生の役割が見えました。」
「自分はこういうことを考えていたんだ、ということを自分の言葉で納得し、自分で検証できたことが大きい。」
正直な心の声を言葉にすることで、自分の言葉が自分を奮い立たせる。そしてその心の声が、お客さんの理想の未来を一緒につくるよろこびにつながっていく。
「どうしたら、自分のことを知ってもらえるのだろうか?」
「自分は、なぜこの仕事をしているのだろうか?」
「自分は、お客さんの役に立っているのだろうか?」
そんなお気持ちでいる社長さんに、一人でも多く「この仕事をしていてよかった!」と言ってもらえるように、これからも一層努めていきます。
最後になりますが、今月90歳になる父へ。
「親父。あのとき俺を信じて、受け止めてくれてありがとう。」
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