こんにちは^^)
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甲子園決勝戦へのコメントを見ると
複雑な気持ちになる
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秋田俊弥(あきたとしや)ですf^^;;;
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わたしは、
慶應義塾高校のOBではない
ですが、なんとも言えない気持ちで…
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宮城県出身の
サンドウィッチマン伊達みきおのコメント
で、救われた気がします。
⇒ https://news.yahoo.co.jp/articles/ccd2fbce161db566ecd05e3b49b872733c81d0ad
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さて、
甲子園球場で歌われた
慶應義塾高校の校歌、
慶應では、小学校から大学まで、
慶應義塾塾歌を歌います。
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この慶應義塾塾歌の歌詞と
その由来が素晴らしいのです。
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今日は、
慶應義塾塾歌の歌詞に秘められた由来を
幕末の歴史を振り返りながらお話します。
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「慶應義塾塾歌」の歌詞
富田 正文 作詞
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見よ 風に鳴るわが旗を
新潮寄するあかつきの
嵐の中にはためきて
文化の護りたからかに
貫き樹てし誇りあり
樹てんかな この旗を
強く雄々しく樹てんかな
あゝわが義塾
慶應 慶應 慶應
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歌詞に出てくる、
「この旗」とは、なにを意味するのか?
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慶應義塾の旗なのか?
いや、ちがう。
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では、
日本国旗なのか?
いや、ちがう。
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では、
なんの旗なのか?
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時は、
慶應4年。
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江戸時代末期
日本は、戦乱の世。
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戊辰戦争の混乱で、
江戸の町が騒然とする中、
福沢諭吉は、
黒煙の上がる戦場からそう遠くない学校で、
十八名の塾生と
普段通り経済学の講義を行ったのである。
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そのとき、福澤諭吉は、
熟生に向けて、
次のようなに語る。
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ナポレオンによってオランダが一時占領された。
それでも、オランダは、長崎の出島だけは、
一日もオランダ国旗を降ろさなかった。
全世界に一か所だけ、オランダ国旗が
はためく場所があった。
幕末の戦火と混乱の中においても、
「学問の旗」を降ろすことなく講義を続けた
慶應義塾は、
長崎の出島のようである。
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つまり、
「この旗」というのは、
「学問の旗」
を意味する。
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「開国か攘夷か」と、混乱の幕末激動期。
そんな時に一方に押し流されぬ無類の
バランス感覚で、ひたすら未来に目を向け、
「学問の旗」を立て、学問を守りつづけたのが
福沢諭吉。
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この話を聞いて、
慶應義塾塾歌を聞くと、
凛とした気持ちになります。
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とくに、ここ、
「貫き樹てし誇りあり
樹てんかな この旗を」
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それくらい、
自らを鼓舞し、周りを鼓舞する
「わが旗」って、素晴らしいです。
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では、
ビジネスにおける「わが旗」とは
なにか?
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わたしなりの答えが、
「ミッション・ストーリー」です。
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なぜ、この仕事をしているのか?
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その根拠を、事実から語ったストーリー。
なにが起きても、
「わが旗」を掲げつづける力を宿す。
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慶應義塾塾歌を聞いていたら、
久しぶりに、
「ミッション・ストーリー」作成勉強会
開きたくなってきました(^○^)
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◆今日のポイント
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どんな状況でも
ブレない自分になるために、
自分の旗=ミッション・ストーリーを
掲げよう!
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*こちらが甲子園での
慶應義塾塾歌です。
→ https://youtu.be/0HZzdL1DNQc?si=soe4cJp-GhUy0Uq0